インタビュー

Vol.03

写真家 越智貴雄

MY EPISODE 〜私とパラスポーツとの出会い〜

Profile

1979年、大阪府生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。2000年からパラスポーツ取材に携わり、2004年にパラスポーツニュースメディア「カンパラプレス」を設立。競技者としての生き様にフォーカスする視点で撮影・執筆を行う。写真集出版、毎日新聞の連載コラム執筆に加え、義足女性のファッションショー「切断ヴィーナスショー」や写真展「感じるパラリンピック」なども開催。ほかテレビ・ラジオへの出演歴多数。写真を軸にパラスポーツと人々を「近づける」活動を展開中。

パラスポーツに関わる方々に、出会いのきっかけや今後への想いをお聞きしました。

近鉄ファンだった少年が、シドニーで高橋尚子を撮るまで

私は大阪の藤井寺、近鉄バファローズ(現・オリックス・バファローズ)の本拠地のある町で育ちました。地元の小中学生は自由に試合を見に行けるような環境だったので、もちろん子どもたちはみんなバファローズファン。私も試合がある日は必ず見に行っていました。当時のバファローズは上位安定チームではなく、「世界一ヤジがひどい」と言われるような球団だったんです。でも、なんだか身近な存在に感じられて憎めないんですよね(笑)。日常に根ざしたスポーツの面白さというのは、この時期にバファローズから教えてもらったのかもしれません。

大学は大阪芸術大学の写真学科に入り、2年生の時に元新聞社の報道カメラマン・原見政男教授のゼミをとりました。ちょうど1998年で長野オリンピック競技大会の時期、原見教授からは毎週「オリンピックはすごい!」という話を聞かされて、自分の中でも「オリンピックを撮りたい!」というのが夢になっていったんです。とりわけ、当時マラソンで注目されていた「高橋尚子さんをなんとか撮りたい!」という想いがあって、2000年のシドニーオリンピック競技大会を目指し、アルバイトで貯めたお金でまずはオーストラリアに語学留学をしました。

現地では新聞社に企画を持ち込んで回り、大会期間中は運よく連載やスポットのお仕事をいただくことができました。とても充実した日々だったのですが、高橋さんには既にたくさんのカメラマンが付いていて、私は周辺情報の取材ばかり。とはいえシドニーにきた目的はやはり高橋さんだったので、自分でも撮ろうと某ホテルの40階から望遠レンズで狙っているところをつまみ出されたことも…(笑)。観客に混ざり無茶をしながら、いろんなものを撮ることができましたが、その中でも40km地点で高橋さんを撮ることができて、すごく満足できたシドニー2000大会でした。

初めて見たパラリンピックは、知らない国に来たような衝撃

オリンピックも終わり、帰国準備をしていると、ある新聞社の方から「パラリンピックも取材しないか?」と連絡をいただきました。当時のパラリンピックはまだ福祉の扱いで、オリンピックに比べてカメラマンの数も極端に少なく、新聞社の取材も運動部ではなく社会部が行っているような時代でした。依頼を受けたのがうれしくて「やります!」と即答しましたが、自分自身パラリンピックのことを何も知らなくて、障がいのある人にカメラを向けてもいいものなのか、親にも相談するくらい不安が押し寄せてきたのを覚えています。

あの時は、まだ自分の中に「障がいのある人へのバイアス」があったのだと思うんです。それを感じたのが開会式でした。選手の皆さんが笑顔で入場行進している姿を見て、「え? みんな笑顔?」と驚いてしまって。しかも逆立ちしながら片手で手を振っている選手もいて、「すごい!一体何が起こっているんだ!」と頭が混乱しました。今では考えられませんが、当時のパラリンピックはそれくらい情報のない時代だったんです。

開会式の前、車いすバスケットボールの公開練習で、初めてパラリンピック競技というものを肌で感じました。激しくぶつかり合い、車いすが飛んでいく。「あ、車いすって飛べるんだ!」ってビックリしましたね(笑)。そこからいろいろな競技を撮らせていただいたんですが、ファインダー越しに選手の姿を見ていると、自分の中にあったバイアスがどんどん薄くなっていくのを感じました。最終的に見えてきたものは、やはり競技。障がいのある人がやっていても、これはスポーツであり競技なんだということを、写真を通して客観的に理解できた気がしました。

もうひとつ自分の中で大きかったのが、現地で松江美季(マセソン美季)さんのお話を聞けたこと。美季さんは長野パラリンピック競技大会のメダリストとして解説のお仕事でいらっしゃっていたのですが、「どんなシーンを撮ってほしいですか?」という質問に「競技としての真剣な顔を撮ってほしい」と答えていたんです。笑顔やガッツポーズよりも、競技としての真剣さ。これは「パラリンピックは競技スポーツなんだ」というとても強いメッセージとして自分の心に残りました。

競技としての魅力が理解できると、「パラスポーツって面白い!」と感じながらどんどんシャッターを切ることができました。どんな面白さかというと、オリンピックには男子100mなら何秒という指標や情報がありますが、パラリンピックには全くなかったので、まるで知らない国に来たような新鮮さがあるんです。新聞社の方から「そんなに撮らなくていいよ」と言われるくらい、毎日引き込まれるように競技の写真を撮り続けました。

撮影:越智貴雄/カンパラプレス

写真家、ジャーナリスト、企画者として、知らない人にパラスポーツを近づける

シドニーから帰国後、2001年に写真展を開催する機会に恵まれました。自分の中では「シドニーですごいものが撮れた!」と手応えがあったので、「これだ! 見てくれ!」という意気込みで42点の作品を展示しました。ところが、来場者の方からは「障がいのある人にスポーツをさせてかわいそう」というマイナスの反応が返ってきました。世間と自分との間には強烈なギャップがあったんです。

選手がこれだけすごいものを見せてくれているのに、悔しくて申し訳なくて。自分も選手たちに少しでも近づきたいという気持ちから、2002年のソルトレークシティも行こうと決めました。だって、こんなに面白いものを知らないなんてもったいないですからね。こうして私のパラスポーツを追いかける人生が始まりました。

とはいえ、当時も今も、パラスポーツ専門では食べていけません(笑)。選手たちの間では「パラ貧乏」という言葉もあり、金銭的な問題があるんです。私も他の仕事でお金を貯めて、残りの時間は全てパラスポーツに注ぎ、お金がなくなったらまた働くという繰り返し。ここまで長い時間、身銭を切ってまで追い求めているものって、パラスポーツをおいて他にはありません。それくらいパラスポーツの魅力にのめり込んでいきました。

自分の中で大事にしているのは、「知らない人にパラスポーツを近づける」ということ。2004年には、多くの人にパラスポーツの魅力を感じてもらうための自社メディア「カンパラプレス」を設立し、ジャーナリストとしての活動もスタートしました。今でも大会などの時期になると100社くらいのメディアに声をかけ、記事として取り上げてもらえるよう駆け回っています。

もうひとつ、義足の女性たちが自分らしさを表現するためのプロジェクト「切断ヴィーナス」で写真展やファッションショーを開催したり、活動資金に困っていたパラ陸上の中西麻耶選手をサポートするために「セミヌードカレンダー」を出版したり、企画者としてもパラスポーツに関わっています。パラカヌーの瀬立モニカ選手に密着取材した「てんねんD&I展 -モニカが村にやって来た-越智貴雄写真展」では、パラスポーツが生み出す「天然物のD&I」についてトークイベントを行いました。

これらのプロジェクトをやっているのは、もちろん全部楽しいから。楽しくなくちゃできませんからね(笑)。現在は写真家、メディア代表、ジャーナリスト、企画者という立場で、いろいろな人にパラスポーツを近づける活動を進めているところです。

パラスポーツの2つの魅力と、ずっと変わらない違和感

パラスポーツの魅力についてよく聞かれますが、私は2つあると思っています。1つ目は、ラケットを口にくわえたり、アーチェリーを足で引いたりする、道なき道を歩む選手たちの姿です。健常スポーツにはある程度セオリーやルートがありますが、パラスポーツにはありません。私には「なぜそんな方法を思いつくのだ!?」という選手たちの工夫を凝らした行動が、発明家のようにかっこよく見えています。

撮影:越智貴雄/カンパラプレス

2つ目の魅力は、パラスポーツの道具がもたらすテクノロジーの進化です。例えば今、トヨタやホンダが競技用車いすの開発でしのぎを削っていたり、海外ではアルファロメオがすごい車いすを作っていたり、空気抵抗をはじめあらゆることが考え尽くされた最高峰の車いすが次々と生まれています。義足もそうです。こういった新しいテクノロジーは、一般の車いすや義足にも応用されていて、まさにF1のテクノロジーが一般車に導入されるようなことが起きています。社会や人類の進化を目の当たりにしているようで、パラスポーツからはじまるテクノロジーの進化というのは本当に面白いですね。

ただ、パラスポーツへの理解が以前とは比べ物にならないほど進んだ一方で、私の中にはずっと変わらない違和感があるのも事実です。冒頭で語ったように私は近鉄バファローズで育ってきたので、ファンの熱い思いから飛び出すヤジも結構好きでして(笑)。応援している選手やチームが負けたらめちゃくちゃ悔しいですし、ヤジとは言わないまでも、そういう感情をファンが表に出すのは普通のこと、むしろ自然なことなのではないかと思っています。でも、パラスポーツにはまだそういったヤジ的な声を受け止める土壌はありません。金メダル確実と言われている選手が8位入賞だったとしても、「何やってるんだ!」、「あのプレーが問題だったんじゃないのか!」というファンの声は黙殺され、「むしろよく頑張ったじゃない」という空気で包みこまれてしまう。

これは、パラスポーツに対して非難などしてはいけないというバイアスなのでしょうか。私はパラスポーツを競技として見ているし、選手たちに近い気持ちだと思っているのですが、この点に関してはずっと世間とのズレを感じていて、なんだか並行世界を生きているような気分になる時があります。別にヤジを飛ばせと言っているわけではないんですが、こういう点でも、もっとパラスポーツと人々を近づけたいなと思っているところです。

興味ある接点を見つけることが、パラスポーツとつながる第一歩

パラスポーツを競技として「当たり前」にするには、まだまだ選手とファンの交流が足りていないのかもしれません。もっと「近づける」ためにはどうしたらいいのか?そのヒントになっているのが、2014年にカメラの見本市で行った「切断ヴィーナス」のファッションショーです。1日5万人近い来場者のあるアジア最大のイベントで、最初は「義足の姿を撮ってもらえるだろうか」と不安もあったのですが、なんと撮影したいという人が鈴なりになるくらいの大盛況。観客の皆さんには、切断ヴィーナスたちの姿が直感的に「かっこいい!」と映ったんだと思います。魅力的な写真を撮りたいという想いが、障がいへのバイアスを自然と外してくれる。そういう確信を得られた瞬間でもありました。

撮影:越智貴雄/カンパラプレス

2024年1月には東京都のTEAM BEYOND主催で、東京パラリンピック競技大会に出場したアーチェリーの上山友裕選手と陸上競技の走り幅跳びで義足のロングジャンパーとして知られる前川楓選手をモデルにした撮影ワークショップが開催されました。私は撮影のナビゲーターを務めさせていただいたんですが、この時も参加者の皆さんがすごい勢いでバシャバシャとシャッターを切っている。選手たちがかっこいい姿を表現してくれると、撮る側も本能が反応し、バイアスが外れていくのでしょう。その光景を見て、「ああ、自分の確信は間違っていなかったな」と感じることができました。こういうことが選手と人々を近づける機会になるのであれば、撮影会の後にファンミーティングを行ったりすれば、もっとつながり合うことができるかもしれませんよね。今後は練習場にファンを招いての撮影会など、新しい企画も準備しているところです。

撮影:越智貴雄/カンパラプレス

写真が好きな方は、こういった撮影会から。ラグビーが好きな方なら、車いすラグビーの試合観戦から。パラスポーツに少しでも関心のある方は、ぜひ自分の興味のあるところから接点をつくってみてください。最初は知らない国に来たような衝撃があるかもしれませんが、少しずつ知識が増えていく中で、自分の中のものの見方がきっと変わるはず。私にできることは限られていますが、そういった接点を世の中に散りばめていけるよう、これからも熱いファンとして取り組んでいきたいと思っています。

撮影:越智貴雄/カンパラプレス