インタビュー

Vol.02

副理事長 大日方邦子

MY EPISODE 〜私とパラスポーツとの出会い〜

Profile

3歳の時に交通事故により負傷。右足切断、左足にも障害が残る。アルペンスキー競技でリレハンメル1994パラリンピックでは初出場ながら5位入賞。長野1998パラリンピックでは冬季パラリンピック日本人初の金メダルを獲得。トリノ2006パラリンピックで自身2つ目の金メダルを獲得。バンクーバー2010パラリンピックに5大会連続出場を果たし、2つの銅メダルを獲得。パラリンピックでの総メダル獲得数は通算10個。平昌2018パラリンピックでは、日本選手団団長を務めた。

パラスポーツに関わる方々に、出会いのきっかけや今後への想いをお聞きしました。

「やってみたい!」、「楽しい!」がスポーツの原点

私は3歳で交通事故に遭い、6歳の時に初めて自分の義足をつけました。義足をつけて最初にやったのは、ブランコに乗ること。新しい足がきたから、できなかったことができるようになる。子ども心にそう思ったんですね。周りの大人が止めるのも聞かず、ブランコに駆け寄って乗ったのを今でも覚えています。

もともとアクティブな性格だったので、他にもやりたいことがたくさんありました。両親も「どうやったらできるか」を当たり前のように考えてくれて、小学校に入るとプールの授業に参加できるようスイミングスクールに通わせてくれました。2歳下の双子の弟たちとも、海や川に行ったり、木登りをしたりして一緒に遊びましたね。木登りでは一人が上から引き上げて、一人が下から押してくれるんです(笑)。

そんな家族のおかげもあって、「義足であっても普通にやる」、「できる方法を探す」というのは、私にとって極めて自然なことでした。自分なりに工夫するとともに、どう練習すればできるようになるかを考え、小さな達成感を積み上げていくというのは、今思うとアスリートとしての下地になっていたのかもしれません。登れないと思っていた木登りに挑戦し、そこから見た景色にワクワクする。できないことができるようになっていく喜びが、私のスポーツの原点だと思っています。

高校生になると『私をスキーに連れてって』という映画に憧れて、「みんなと夜行バスに乗ってスキーに行きたい!」と思うようになりました。競技としてのスキーではなく、青春の1ページへの憧れですね(笑)。ところが、お医者さんは「君の足でスキーは無理だ」と言います。当時はまだチェアスキーの存在を誰も知らないような時代だったからです。

それから1年くらいたったある日、義足の修理に出かけた横浜のリハビリテーションセンターで、たまたま開発中のチェアスキーを見つけました。「これに乗ってみたいです!」と言うと、講習会があり、スキー場までツアーバスが出るというじゃありませんか。「あの映画と同じだ!」と思い、スキーのこともよくわからないまま参加することにしました。

写真提供:大日方邦子

チェアスキーを初心者に教えるのって、すごい力仕事なんです。1本のスキー板の上でバランスをとっているからすぐ転ぶし、転ぶと一人じゃ起き上がれない。補助で起こす方も大変で、私が何十回も転ぶので、サポートについてくれた方も汗だくです。でも、少しずつ一人で滑れるようになると、自分も嬉しいし、みんなもすごく喜んでくれるんですね。白いゲレンデと青空に包まれて、新しい友達と一緒に笑い、喜び合う。そんな楽しい経験をさせてもらいました。

すっかりチェアスキーの面白さにのめり込んだ私は、もっと滑りに行きたくなりました。ただ、一人でゲレンデまで行くのはハードルが高く、なかなか機会がありません。そんな時、普段通っているスポーツセンターの指導員から、「競技をやっている選手たちの合宿がある。遊びじゃないけど連れていってあげるよ」と言われまして。スキーができるチャンスを逃したくないと、また能天気に参加することにしたんです。

場所は富山の豪雪地帯。あんなにたくさんの雪を見たのは人生で初めてです。フカフカの雪が積もったゲレンデは滑るのも難しいし、転んだらそのまま埋まってしまいます。先輩たちが崖のような斜面を何事もなく滑っていく姿に、楽しいスキーを思い描いていた私は打ちのめされてしまいました。それもそのはず、この合宿、実はパラリンピックを目指す日本代表の合宿だったんです(笑)。何も知らない私は、皆さんが真剣に練習をしているのを横目に一人で滑るわけですが、もう滑っているのか転がっているのかわからない。合宿の最後の方で、やっとコースに出させてもらうような感じでした。

単純にチェアスキーが楽しい。上手くなるのが楽しい。タイムが縮まれば嬉しいし、何より先輩たちとワイワイやっているのが楽しい。

それだけで日本代表合宿に参加しているわけですから、周りからしたら困った存在だったと思います。ただ、世界のトップで活躍する選手たちに出会い、ハイレベルな滑りを間近で見るうちに、競技としての面白さにものめり込んでいきました。「やりたい!」、「楽しい!」という気持ちだけで無邪気に飛び込んできた私を、先輩たちがあたたかく受け入れてくれたからこそ、アスリートとしての人生が広がっていったのだと思っています。

多様な人々が関わり合うスポーツは、社会そのもの

2010年に競技生活を引退した理由のひとつは、選手としてのピークを過ぎたこと。もうひとつは、パラスポーツを取り巻く環境です。パラスポーツは、支える人がいないと成り立ちません。では誰がそれを支えるべきかと考えた時、やはり選手をやっていた人が役割を変え、支える側に回った方がいい。私もまだ動き回れる余力のあるうちに、支える側に回ってみようと思ったからでした。

私の時代のパラアスリートは、社会人としてのキャリアを積みながら、自分の時間とお金を捻出してトレーニングするのが当たり前。「家一軒建っちゃうよね」と笑い話になるくらいトレーニングにはお金がかかりましたし、仕事との調整だって大変です。トップ選手であっても競技だけでは食べていけない、サポートも受けられない、そんな今とは全く違う環境でした。一方で、パラスポーツのことはまだまだ知られていないけど、知れば「面白い!」と言ってくれる人たちもいました。もし、コミュニケーションがうまくとれてないだけだとしたら、情報発信をすればもっと多くの人がパラスポーツを面白がってくれるんじゃないか? そう思ったんです。

日本パラリンピアンズ協会やスポーツ庁スポーツ審議会に参加する中では、パラ水泳出身の河合純一さん(日本パラリンピック委員会 委員長)をはじめとするさまざまな方たちと出会いがあり、競技を超えてお互いに高め合えるようなネットワークをつくることができました。また、スポーツビジネスがどのように成り立っているかを知らなければと思い、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科で学び直すこともしました。支えられる側から支える側になり、自分の視野が広がってくると、「スポーツの世界は一方通行ではない」ということにも気がつきました。

例えば、私が学んだ「スポーツのトリプルミッション」という考え方では、ある競技を持続的に発展させるには「勝利・市場・普及」という3つの要素の好循環が重要になります。もし私が金メダルを取っても(勝利)、それを誰も知らなければ(普及)、スポンサーは集まりませんよね(市場)。この3つの要素全部をうまく回すためには、選手やメディア、企業など、さまざまな立場の人がまずつながり合う必要があるんです。

スポーツは個人のものであると同時に、みんなのものでもあります。つまり、「スポーツとは社会そのもの」なんですね。体を動かすことで笑顔になり、その「楽しい」という感情でつながり合う。する人も、見る人も、支える人も、スポーツが「楽しい」からこそつながり合う。多様な立場の人が集まり、一緒につくり上げていくもの。今は、それこそがスポーツなのではないかと思っているところです。

つながり合い、一緒につくるのがパラスポーツ

スポーツというのは、オリンピックやパラリンピックを目指すような競技をすることだけではありません。年齢や地域、障がいの有無に関わらず、誰もがそれぞれの立場で気持ちよく体を動かし、できないことができるようになる楽しさを味わうこと。それがスポーツの原点だと思うんです。だからこそ「やりたい!」と思った時にチャレンジできる、例えばスキー場で気軽にチェアスキーを体験できるような環境を整えていくことが大切だと思っています。

スポーツを楽しいなと思う原体験って、トップアスリートでも、パラネットのスタッフでも、賛助会員の皆さんでも、きっと誰もがひとつは持っているもの。それぞれ違う体験だったとしても、スポーツという共通のフレームがあれば共有できるし、違うからこそ面白いんですよね。スポーツをする人も、支える人も、個人個人が持っている原体験でつながり合うことができる、一緒に楽しさをつくり出していける、それがパラスポーツという場所の魅力なんだと思います。

いつもは支える側の人が競技をしたり、選手が支える側に回ったり、ファンだった人が活動に参加したり、自分とは違う種目を応援したり、パラスポーツは「する」、「見る」、「支える」がシームレスな世界。社会貢献というキーワードばかりが注目されがちですが、やはりスポーツの原点は「一緒に楽しむ」なんです。どれだけ転んでも仲間が引き起こしてくれて、できたらハイタッチして笑い合う。スポーツって一人じゃできないし、スポーツの喜びはみんなのものだから。

パラスポーツはまだ小さい世界ですが、小さいからこそ人とのつながりが濃くて面白い。だから皆さんにもぜひこの輪に入っていただき、「一緒に面白いことをやろう!」という関係になりたいですね。いろんなバックグラウンドを持った人たちとつながり合い、多様性を楽しむ場を一緒につくっていけたらなと思っています。