パラスポーツに関わる方々に、出会いのきっかけや今後への想いをお聞きしました。
初観戦の衝撃がパラスポーツ取材の原点に
私が最初に、パラスポーツの取材に行ったのは、ニッポン放送に入社した年の2015年。『チャレンジドアスリートサタデータイム 三菱電機 車椅子バスケットボールスピリッツ』のパーソナリティを担当することになったのがきっかけでした。ちょうど、車いすバスケットボール日本代表が「リオ2016パラリンピック競技大会」(以下、リオ2016大会)への出場権をかけて戦う「三菱電機2015 IWBF アジア・オセアニアチャンピオンシップ千葉」の開催期間で、その大会のリポートを任されたのです。
パラスポーツがもともと、リハビリテーションの一環として生まれたということは知識としてありました。ですので、正直に言うと、大会での競技もリハビリの延長線上のような様子を思い浮かべていました。
でも、実際に試合を観て、そんな考えは吹き飛びました。間近で見ると選手の上半身の力強さや、車いす同士がぶつかる衝撃が伝わってきます。ものすごいスピード感で試合が進み、タイヤが床に擦れたときのゴムが焦げたような匂いまで漂ってきて。パラスポーツは、競技として、スポーツとして面白いんだということに、そのとき初めて気がつきました。
きっかけは仕事でしたが、パラスポーツの魅力を知り、番組が終わったあとも自発的に試合を観に行くようになりました。車いすバスケットボール以外の競技にも興味が湧き、車いすラグビーやゴールボールなど、いろいろな競技を観ましたね。
新人の頃、先輩からアナウンサーは生放送や収録がない時間帯に取材に出かけ、勉強するものなのだと教わりました。「たとえ、取材した情報を番組でお伝えする機会がその時に無かったとしても、自分で現場に足を運び、実際に見て、感じたことは、必ずどこかで仕事に生きてくるよ」と。ですので、まずは興味をもったパラスポーツの試合会場に足を運ぶようになりました。
その取材の積み重ねが実を結び、リオ2016大会での現地リポーターを務めることになりました。その後、「平昌2018冬季パラリンピック競技大会」(以下、平昌2018大会)でも現地リポーターを担当しました。初めて試合を観て感じた衝撃と、そこから生まれた取材。それが、今の私のパラスポーツとの関わりの原点になっています。
日本でも関心の広がりを実感
リオ2016大会や平昌2018大会での取材を通して、日本と海外の文化の違いを実感する場面も多くありました。例えば、リオ2016大会では、現地の人々の陽気さやフレンドリーさが印象的でした。現地のボランティアスタッフも含め、障がいのある方に気さくに声をかけ、サポートしようとする文化がありました。アクセシビリティはまだ十分とは言えなかったかもしれませんが、人々の心遣いがそれを補っていたように感じます。平昌2018大会でも、聴覚に障がいのある現地の方が身振り手振りを交えて話しかけてくれて、一緒に応援するなど、国を超えた連帯感を実感しました。海外では、人と人との関わりや熱気が、パラスポーツを支えているのだと思います。
日本も「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」(以下、東京2020大会)を契機に状況が大きく変わりました。無観客開催ではありましたが、メディアの報道や学校などで行われた体験会などを通じて多くの人がパラスポーツに触れ、現地観戦への関心も高まり、東京2020大会以降、試合会場に来る人も増えています。昨年の「パリ2024パラリンピック競技大会」の配信では、日本人選手が出場していない試合でもコメント欄には日本語の応援メッセージがあり、関心の広がりを感じられました。
ラジオだから伝えられる“魅力”
私が現在担当している『ニッポンチャレンジドアスリート』では、パラアスリートやパラアスリートを支える方々へのインタビュー音声に私がナレーションを加えて番組をつくっています。私が直接インタビューをするわけではないのですが、収録現場を見学することもあります。現場で知り合った選手や関係者を番組ディレクターに紹介するなど、キャスティングの手伝いをすることもありました。
また、朝のニュース番組『飯田浩司のOK! Cozy up!』という番組も担当しており、そのなかで、パラスポーツに関するニュースをお伝えすることもあります。競技だけでなく、視覚に障がいのある方のためのサポート器具やアプリなどの最新情報などもお伝えしています。例えば、これまでに、視覚障がい者の歩行をサポートする靴装着型ナビゲーションデバイス「あしらせ」や、スマホアプリ「Be My Eyes(ビーマイアイズ)」などをご紹介してきました。
パラスポーツそのものの魅力を知っていただきたいのはもちろんですが、加えて、街なかで障がいのある方を見かけたときに、気にかけたり、気軽に声をかけたりしていただきたいという思いがずっとあります。ラジオは音だけで伝える媒体。「見える人」と「見えない・見えづらい人」の間にいる存在なので、そうした方々をつなぐ橋渡しになれたら…と思っています。
ただ、ラジオは映像がない分、難しさもあります。競技の状況やスピード感、迫力を、言葉で伝える必要があるからです。ですので、どういう言葉を選べばリスナーの皆さんにとってより分かりやすくて、一番心に響くか、常に考えながら話すようにしています。お伝えする際の工夫として、競技中の音を録音するようになりました。車いすラグビーで車いす同士がぶつかる衝突音や、ブラインドフットボールの独特なボールの音などを流すことで、言葉だけでは伝えきれない臨場感をリスナーに味わってもらえるのではないか、と考えたからです。競技の期間や会場といった具体的な情報を添えることも重要です。“知ってもらうこと”で、リスナーの方々が会場に足を運ぶきっかけになれたら嬉しいです。
次世代にバトンを託し、さらなる普及を目指す
入社当初は、現場取材での立ち回りをはじめ、右も左も分からない状態からスタートしました。囲み取材とは何か、選手にどう声をかければいいのか、スコアはどうメモすればいいのか──そんな私に一から教えてくださったのが、長年現場で取材活動を続けられていらっしゃる先輩記者の皆さんでした。先輩の皆さんと一緒に現場に出ていると、たくさんの気づきがあります。現在でももちろん、質問の仕方一つをとっても、多くのことを学ばせていただいています。
一方で、自分が受け取ったバトンを、今度は次の世代に少しずつ託していかなければいけないとも考えています。大変ありがたいことに、社内で“パラスポーツ取材といえば新行”と言ってもらえているのですが、私一人で取材を続けていくのには限界があるとも感じています。東京2020大会の盛り上がりは大きなものでしたが、その熱をそこで終わらせず、皆さんの日常のなかにパラスポーツが溶け込むくらい、常に報道を続けていくことが大切だと感じています。だからこそ、自分だけで終わらせない意識を持ち、同僚のアナウンサーにも取材した内容を共有し、「一緒に取材に行かない?」と声をかけるようにしています。「パラスポーツの観戦に行こう!」、「一緒に取材をしよう!」と声をかけていくことが、バトンを繋いでいくことになるのではないかと思っています。
パラスポーツの取材現場は、先輩記者の皆さんが切り拓いてきた場所です。その積み重ねがあるからこそ、今、私たちが取材をできているのだと思います。ラジオという媒体の特性を生かしながら、これからもパラスポーツの魅力をお伝えしていきたいです。
